藤守の田遊び

藤守の田遊び

「国の重要無形民俗文化財  藤守の田遊び(開催日:3月17日)」

藤守の田遊びはどうして生まれたのですか

「田遊び」は正月の神事芸能で、主として新春にその年の豊作を予祝するために田の耕作から刈り上げまでの労働過程を模擬的に演じてみせるもので、氏子中の未婚の青年が奉納し、祈年祭の日を前後に色々な神事が行われます。

以前は、陰暦正月17日が祈年祭でしたが、太陽暦が採用されることになった明治42年からは2月17日に、さらに戦後の昭和36年からは3月17日に変更になり、現在に至っています。

大井八幡宮に伝わる「藤守の田遊び」

大井八幡宮

  • 稲作りの過程が比較的完全に残されている。
  • 祭りと氏子との関わりがとても深く、氏子が永年にわたって奉仕している。
  • 彩色豊かで、その演舞がとても華麗である。

以上のことが特色として上げることができます。

青年が、顔に化粧をして女人を擬した衣装を身につける祭事は極めてまれで、さらに金紙、銀紙を散らして造られたショッコをかぶり華やかに稲作りの過程を次々と舞うさまは、まさに幻想の世界といえます。

大井八幡宮と祭りの起源

大井八幡宮と祭りの起源

焼津市(旧大井川町)の藤守は、古大井川が形成した微高地で、弥生時代から人が生活しておりましたが、流れは時に猛威となって村を襲い、濁流に飲まれることも度々だったと想像されます。しかしまた、その流れは豊かな秋の稔りをもたらしてくれました。

大井宮は、平安時代の初期の延暦年間(782~806)、大井川の水に感謝するとともに、大井川の水害を恐れ平安豊饒を祈って水霊そのものを神としてまつる川除け神として創立され、寛和元年(985)正月17日には、神殿を建立し、川除守護神を祭祀しました。
そしてこの時に「田遊び」が奉納されたと伝えられています。

祭の行事

祭の行事

神事の日程

3月10日
帳付の式…田遊びを演じる青年たちの氏名を帳簿に記載する儀式。
3月15日
水祝、年始、お日待…
水祝は、氏子中この一年の間に結婚した男子が清水で清められる儀式。
この水祝後、宮籠り青年全員が神主宅に年始の挨拶に行き、濁り酒がふるまわれる。
3月16日
御供練、御供納…
神主宅で鏡餅、牛舌餅を作り、お食いつぎが行われる。そして神主、四座、青年たちが、暗闇の中で御供えする。
3月17日
内的(うちまとう)…
寺院の内陣にあたる場で神主、四座、総代たちの共食宴。
外的(そとまとう)…
四座、神主に配膳され宴席となる。
的射(まとい)…
外的が終了するとすぐに行われ、弓矢は的場の森に納められる。

田遊び奉納

毎年3月17日、社殿前の舞台において、午後6時から10時過ぎまで華やかに演舞されます。
25番組と番外2番で構成され、笛と太鼓に合わせて舞能と詞章を唱えて豊作を祈り、災いを防ぐ祈りごとであるとともに、神様の心を和らぎ慰める技でもあります。

田遊び奉納

第2番 振取
(ふっとり)
御獅子(牛)を祭神の身代わりと考え、祭神を内陣より迎えたてまつる意で最重要演舞です。
第3番 御獅子
(おしし)
青年5人が獅子幕に入り、振取の慰める所作の舞を受納します。
 
第9番 山田
(やまだ)
舞台の中央に田を擬した台を置き、鍬を順に打ちながら歌を送ります。
 
第10番 徳太夫
(とくだゆう)
造花の万燈花を飾りつけたショッコをかぶった徳太夫が、山田打ちの労をねぎらい酒をふるまいます。
第16番 早乙女
(そうとめ)
氏子中5歳になった男児が親と舞台に上がり振取の紹介で神前に向かい三拝し、氏子入りする儀式が内容となっています。
第20番 間田楽
(までんがく)
青年8人が頭に田の字を擬した造花を冠り、稲の成長ぶりを華やかに舞います。
 
第21番 猿田楽
(さるでんがく)
豊作を予告させる紅白の万燈花で飾ったショッコをかぶった青年8人が、勇ましく舞い跳ねるこの演目は、田遊びの中で最も華やかで美しい舞です。

千有余年の歴史をもつ「藤守の田遊び」は、原形を正しく受け継いでいることから、昭和52年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
また、その文化的価値の高さから数々の全国的な文化の祭典に出演してきました。

交通のご案内

交通のご案内

●JR東海「東海道本線」ご利用の場合
藤枝駅下車。バス藤枝吉永線にて「大井川庁舎入口」下車。徒歩15分。
●お車をご利用の場合
  • 東名吉田ICより国道150号に出て東進、上小杉「歩道橋」の信号機を右折。(ICより15分)
  • 東名焼津ICより国道150号に出て西進、上小杉「歩道橋」の信号機を左折。(ICより20分)

お問い合わせ

焼津市教育委員会 歴史民俗資料館(電話:054-629-6847)

でんさいネット

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